というわけで、
どのようなことを書いてみても、すべての人に効く薬はないし、方法も書けないので、こういうところで呟いてみても、仕方がないのでしょう。
宮本武蔵も、「自分でよくよく研究してみなさい」としか、言ってませんね。
近頃、著名な禅僧やキリスト教の僧侶が、権力を笠に着て、セクハラ等の悪事を働いて、問題になっています。
みなさん、始めはかなり精進したこと思います。
しかし、一旦、お金や権力を持ってしまうと、人間はなかなか色々な誘惑に勝てないということが、発覚するようです。
そして、振り出しに戻ります。
上には上がいて、下には下がいるのですが、まるで上と下がつながっていて、循環しているようにも見えます。
先ず、または同時に、誘惑に勝つ修行をしないといけないのではないでしょうか。
最近、科学者が「ぼうっとしているように見える人、は知能が高い」と発表したようです。
しかし、武道も仏も「半眼」なので、いまさら、鬼の首でもとったように言うのは、どうかと思いますね。
東洋では、昔から常識ではないのですか。
でも、逆に言うと、科学もだんだんこころの領域に入ってきた、ということでしょうか。ちょっと、怖い気もしてきます。
こんなところで、分かったような気持ちになって、いろいろ書いていることこそ、自分が悟ってない証拠だと思います。
ただ、とにかく、自分で苦しんで考えないと、先に進まない気もしています。
結局、一生修行なのでしょうか。
人の言うことをちょっと聞いただけで、鵜呑みにしたり、分かった気になったりしないでください。
自分のこころで考えてみてください。
自分でよく考えてみない限り、進歩は無いように感じます。
小さな失敗を繰り返してください。忍耐力がついてきます。
大きな失敗のほうが、その後の成長も大きいですが、打ち勝つのにも時間がかかると思います。
先に興奮したり焦ったりしたほうが負ける。
100%ではないかもしれません。
でも、長期的にはそのようになっていくように感じます。
そもそも、世の中に100%なんてことは、コンピュータの世界でも、無いかもしれません。
言葉って、言い方によっては、相手にとっては、まったく逆の意味になっている。
と思うのは、私だけでしょうか。
特に、日本語は省略が多いので、日本人同士でも「あっ、そうとられていたのか」と思うことがよくありました。
無理にでも笑っていると、そのうちに楽観的になることもある。
と、思います。