言うときはいう人の判断でことばを発します。
しかし、どのように解釈するかは、聞き手に決定権があるようです。
ですので、「そんなつもりではなかった」と言っても、すぐに分かってもらうのは難しいですね。
ここに書いていることは、宮元武蔵の「五輪書」とかなり共通点が多いと思います。
ただ、昔にも読んだことがあるので、心の中に残っていたのが、今になってでてきているのかもしれません。
今は、吉川栄治の「宮本武蔵」を読んでいますが、これも勉強になります。ただし、物語なので、強引な話の持って行き方によって突っ込みどころも多いですが。(青空文庫さま、青空キンドルさま、大変感謝しております。どうもありがとうございます!)
やはり、私としては元本である、「五輪書」、「独行道」をお薦めします。
私のやり方は、結果的に、精神的、肉体的な苦痛に長時間耐えることで、徐々にこころの安静を得ていく。これでしたので、なかなか自分からやるのは容易ではないと思われます。私の場合は、それを自然に無理やりやらされただけです。何回も自殺しそうになってます。
人間って、どこかで、自分が一番偉い(またはいつかそうなる、なりたい)と信じちゃったりするんではないでしょうか?
それでいて、自分は一番正常だという仮定の基に、話したり怒ったり笑ったりしている。
でも、天才って不正常(ほぼ異常と同じ)の一種なんでしょう。
矛盾を感じますね~
あ、分かった。違った。分かった。違った。・・・
人生はこの繰り返しのような気がします。私は、この10年間、あらゆる(非常に多くのという意味です)ことを考え続け、あらゆる「自己啓発」「思想」「宗教」「道と名のつくもの」を研究するうちにこう考えるようになりました。
科学、「コンピュータ」「数学」「物理」の本もたくさん読みました。
今の分析では、「悟ることはできないが、悟りに近づくことはできる」というものです。それは、研究と実践と薬、あらゆるものを実体験しないと本当に感じることはできないかもしれません。
苦しすぎて、時間が長すぎたから・・・(以前、「死ぬほど苦しい」と書きましたが、死ぬのが苦しいことかどうかも今はわかりません。この10年は私にとって、たとえようのない暗黒の世界でした。苦しむのにも慣れきった感もしています。でも、進んで苦しみたい人は少ないと思うので、今となっては良かった気も。)
ただ、自分の考えだけを正解とし、人に強いるようなことは危険だし、避けたいと思っています。
逆に、かつての日本社会のように、「そんな意見は考えてもいけない」というように、自分と違う意見を封じ込めるのも良くないと思います。
何のために、これを書いているのでしょうか。
それは、自分のこころの平静を保つためです。それと、ちょっとでも、ほかの「うつ」の人たちのヒントになれば、私自身がうれしく、さらに平静が保てる気がしているからです。ただし、結局はひとりひとりが自分で体験して考えなければ無理な話のように見えています。ですので、「ヒント」といったのです。
たとえば、文章を書くと、言葉に非常に慎重になるので、こころの平静に役に立ちます。できれば、一行ごとに深呼吸をしようと思っている次第です。
以前に、「うつ」(および「身体的苦痛」)を治す、一つの手っ取り早い方法は、何も考えずに「阿字観」をやることです、と申し上げました。
私は、仏教、それも真言宗が好きなのですが、なにもそれが絶対とは言いません。ただ、自分が苦痛を体験して、自然にやったことが「阿字観」に似ていて、納得できるものがあったからです。
別に、「聖書」でも「コーラン」でも「相対性理論」でも、なんでもいいと思っていますが、とにかくみんな難しいです。仏教も難しいですが、日本語の関連書籍も充実しているし、「空海」も日本人らしいし、やはり、日本人にはこれが一番簡単だと思ったに過ぎません。
「聖書」を原書ですらすら読める方ならそれでも結構だと思います。
ちなみに、自分のやったことと似ているからといって、自分の修行は仏教で研究されていることの足元にも及ばないことはよく承知しています。
ただ、反論を言うと、お釈迦様は結果的にはみんなを助けていますが、もともといい人だったわけではないと思います。インドの王子で、若いころは贅沢三昧をして、挙句の果てには、妻と子供を捨てて修行に出た、という家族にとってはまったく迷惑な人だったと思います。
もっとも、お釈迦様自身も自分のことを「偉い」などとは言っていないように思います。私には、周りの人が勝手に神格化しているように見えます。
実は、心の悩みは100分の1、体の痛みは1万分の1ぐらいしか治った感じはしていません。
でも、心はこの10年間、体はこの4年間、少なくとも「死にたいほどの苦痛」がまったく良くならなかったのです。ちょっとでも希望が見えたので、万々歳なのです。
ほとんど毎日、リハビリに通っているところです。
まず、自分をコントロールすることからはじめてはいかがでしょうか?
精神的にも、肉体的にも。
しかし、自分自身をコントロールするのは、かなり難しい気がします。
ひとのことばを気にしてばかりいて、前後左右に動かされてはいませんか?
今日は「この辺でいいでしょう」(by 水戸光圀・・・)
いま、台湾で働いていますが、本当に、みなさんまじめで優しいです。涙がでるくらい!
それだけに、今回のフィxxxの事件は悲痛です。
フィxxxは、まだまだ未熟者です。よくいえば、「天真爛漫」。悪くいえば「ばか!」。
でも、台湾がいつも懐かしく感じられるのは、むかしの日本にちょっと似ているからかもしれません。
その日本も、最近、「うつ」から立ち直りつつあるように見えます。
それと、台湾のみなさん、ふんばってください。一緒になって興奮したら良くないですよ。同じ土俵で戦わないで。
私がここに書いていることは、ひょっとすると、女性にはあまりピンと来ないような気がします。