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やりたくないとき


やらなければならないのにやりたくない場合どうしたらいいか考える。

単純作業なら無理やりやってしまうこともできるのだろうが、複雑なことで、勉強して理解しないとやり遂げることができないことなどについてはどうしたらよいのか。

たとえば、英語だが、いくら勉強してもなかなか効果が得られない。これを無理に勉強していると(私の場合)いやな気持ちが持続し、増幅され、やがてうつの症状になるのだ。このいやな気持ちをどうしたら解決できるか。

それが好きになって趣味のようになればいいのだが、可能なのだろうか。すごく簡単なところから入ってすらすらできることにより好きになるという方法は?それは何度も試みたが、難しいところに至るとだめになるし、いくら簡単なところでも心から好きになれる気がしない。

瞑想して無心になってやるか。できるようになったときの喜びを想像するか。興味のある題材を使うか。

面白おかしいことと絡める。

とりあえずやり始めて、いやな気持ちは忘れるようにする。いやな気持ちが激しくなったらいったんやめてその気持ちを取り去ってからまたやる。

自分の興味のある部分を探す。少しでも面白そうなところからやる。自分の好きなことに関連付ける。

始めは、楽しいことと一緒にやる。簡単にできる単位に分ける。ほかの人と一緒にやる。

自分にできなかったら人にもできないと思う。

少し進んだら、自分をほめる。

何とかしてテンションをあげようとする。

・・・

いろいろと家族に聞きながら書いてきたが、家内と娘には「うつになる」という要素が基本的に無いようであった。やはり本にもあったように生まれつきの部分がかなり大きそうである。

うつの要素を持っている人間の割合はどの程度なのであろうか。このブログに書いているようなことはほとんどの人たちにとっては完全に他人事なのだろう。まあ、ひとつ新しいことを理解した。

絶対に正しいことは無い


どんなことにも絶対正しいということは無いと思う。どんな意見でも時と場合、その人の置かれている状況によって正解でもあれば不正解でもあり、どうでもいいことでもある。

数学の公式なら絶対という人がいるかもしれないが、たとえば三角形の内角の和は180度というのも、平面の上に三角形を描いたという特別な場合であり、地球儀の上に描けばそれは成り立たない。

だから、ある結論を出すときにはそれが絶対だと錯覚しないように気をつけるべきだと思った。

自分で叱る


この前、自分を「怒られたことが無い」と書いたが、ここでは「叱る」を使う。怒ると叱るは基本的に違う。「怒る」は自分の感情を相手にぶつけることで、「叱る」は相手のためにまたは何かのために相手を戒めることだろう。

大人になって怒ったり叱ったりしてくれる人がいなくなったことに対する対策のひとつとして、自分で自分を叱るというのはどうだろうか。

自分を良く見つめるためにもいいし、結果として早めに微調整するのにも役に立ちそうだ。

言えばいいというものではない


ここで、公開ボタンを押すということは、やっぱり誰かに分かってもらいたいのか。助言してもらいたいのか。

私は何でも人に打ち明けてしまう性格だが、きっと何でも言えばいいというものではないだろう。

それは何のためなのか。相手のためになるのか。もうちょっと考えるべきだろう。私は本当のことを打ち明けるほうが正しいと長い間思ってきたようだが、それは違うだろう。

楽になりたい


今さっさと頑張ってなにかすごいことをして、後で楽になりたい。そう思っていたような気がする。これも苦しみの原因のような気がする。

結局今やるべきことを淡々とやり続けるしかないのではないか。

勉強を頑張っていい大学に入ったら後は楽なのか?現世でお経をたくさん読んで修行したら来世は楽なのか?そんなことは無いだろう。事実いい大学を出て、いいといわれる会社にも入って、その中でも仕事ができるといわれたが、心はいつも苦しみに満ちている。(ちなみにこういうことを言うと家内が泣くので書いておくが、家内と結婚したことは奇跡的とも言える幸せだ。こんな状態の私を少しでも幸せにしようと誠心誠意つくしてくれるから。)

淡々と今を生きるほうが悟りに近いのではないか。家内は、人生についてなんて考えたことは無いという。いつも今やるべきことをやっているだけという。私の考え込んだ挙句の悟りはこの状態に近いような気もする。

ちなみに、私は来世があるなどということには同意していない。でも、死んでも自分の心がなくなって自動的に悩みがなくなることは無いような気はする。来世を一般的に死んだ後の心の状態というならそういってもいいだろう。

とにかく、今頑張って後で楽をしようなどとは考えないほうがいい。いわゆる「楽」は永遠に無いと考えたほうが返って楽なのではないか。仏教で言うところの人生は苦ということか。

怠け


娘に「ちゃんと勉強しろ」といっているうちに、自分はもっと怠け者だと思った。

家内は毎日あさ5時に起きて娘と私のお弁当を作っているし、娘も私より早く起きて学校に行き帰ってきても結構な時間机に向かっている。

私は、眠れなかった、背中が痛い、咳が出る、吐きそうだ、などといってぎりぎりまで寝ている。無理に起きると症状がもっとひどくなって仕事が完全にできなくなってしまうのではないか、という恐れもある。でも、分析すると、自分は怠けているのだと思う。

実際に起きてしまうと思ったよりも大丈夫なことがほとんどだ。先週は頑張って早く会社に行くようにしたが、体は疲れるが、精神的には改善される気がする。

あと、疲れたほうが夜も良く眠れるのである。

いろいろな理屈をつけて怠けてはいけない。そういって楽をすることは多分自分にとって害である。怠けないでやるべきことをやるのが大事だ。

娘に「なぜ勉強しなければいけないの」と聞かれたら、答えは決まっている。すべて「君のためだから」である。自分自身に「なんで怠けてはいけないの」と聞かれたとしたら「自分のためだから」ということだ。大人になると本当に自分のために強制してくれる人がいなくなるので、楽なほうに流れやすくなるのだ。自分でなんとか強制するしかない。

やるべきことをどういう風に設定するかはまた別の話。

怒られなかったから?


いつも勉強の成績が良く、会社に入ってからも仕事ができるといわれていて、まったく怒られることが無かった。そうしているうちに、どんどん怒られないように、期待にこたえられるようにならなければいけないと思うようになった。そして、怒られるのが怖くなった。いや、怖いというよりも気苦労してうつになりやすくなっている。

自分はもっと何かすごく大きなことをやらないといけないと思うようになった。そして、いくらやってもできないのでうつになった。

大きなことを成功させて後で楽になりたい、という良くない考えもあったが、これはまた別の話。

まとめてうつの改善の参考にする。

1)必要以上に怒られるのを怖がるのはだめ。
2)漠然と何かすごいことをやろうとしてもだめ。
3)不可能なことを実現させようとしてはいけない。
4)後で楽をしようなどと思ってはだめ。

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